秋山翔吾選手 × JFAこころのプロジェクト
「夢の教室」
日本一の安打製造機・埼玉西武ライオンズ秋山翔吾選手がJFAこころのプロジェクト「夢の教室」で子どもたちに夢を語る。
昨シーズン、埼玉西武ライオンズの秋山翔吾選手は、日本プロ野球80年余りの歴史の中で、シーズン最多となる安打記録を更新した。プロ入り5年目の2015年、歴代3位タイとなった31試合連続安打など、前半戦から注目を集め、最終戦で史上最多となる216安打を放った。そんな秋山選手が、公益財団法人日本サッカー協会(JFA)が日本プロ野球選手会(JPBPA)と取り組みを始めた「夢の教室」に登場。1月15日(金)、チームの地元埼玉県の中部に位置する坂戸市の上谷小学校で、小学5年生23名を対象に授業を行った。
JFAこころのプロジェクト「夢の教室」
「夢の教室」とはJFAが2007年から始めた取り組みで、現役やOBのサッカー関係者が、夢先生として小学校や中学校を訪れ、夢を持つ大切さを教える授業としてスタート。サッカー教室ではないということから、あらゆるスポーツに拡大し、現在では様々な競技のアスリートが夢先生として教壇に立っている。昨年11月、サッカー界と野球界が組織ぐるみで行う取り組みとしては初めてとなるJFAこころのプロジェクト「夢の教室」の共同実施をする発表が行われた。初年度となる2015年オフシーズンには、各球団から1名が先生となり、日本各地で野球選手による「夢の教室」が行われた。
埼玉西武ライオンズの秋山翔吾選手は、埼玉県の坂戸市立上谷(かみや)小学校の5年1組で授業を行った。まず体育館で仲間と協力し、体を動かしながら相手を思いやる心やルールを守ることの大切さに気付いてもらうことを目的とした「ゲームの時間」。ユニフォーム姿で登場した秋山選手は、「緊張するかもしれないけど、楽しんでいつも通り一緒にやりましょう。秋山先生は長いので、普段は言われないのですが、アッキーと呼んでください」と、子どもたちを和ませてから授業開始。
クラスで野球をしている子どもがいないということもあって、まずは秋山選手のバッティングから。柔らかいボールで、トスバッティングをすると、子どもたちからは『すげー』と歓声が上がった。「プロだからね」と笑いを誘った秋山選手が、「やってみたい人?」と言うと、男子児童が数名立候補。順番にバッティングを始めると、「じゃあ、残りのみんなは守って」となり、簡単な野球教室に。最後に秋山選手が「ちょっと力を入れて打とうか」とスイングスピードをアップ。見えないくらいのスピードで天井にボールがぶつかったところで野球は終了。
仲間で協力するチームゲーム
次はチームゲームとなり、2人、3人でチームになって、間にボールを置いて取り合うゲームや、秋山選手を含めた24名が手をつないで、だるまさんが転んだを一緒に行った。「だるまさんが転んだ」と言う代わりに、アシスタントがドッチボールを上に投げたら進み、ボールを掴んだらストップというルール。アシスタントがさっとボールを素早くキャッチしたり、投げるふりをしてボールを持っていたりして、子どもたちはバランスを崩して動いてしまう。
「今日は失敗ってないから。チャレンジすることが成功だよ」と子どもたちに声をかけながら始めたが、上手くいかないので、「作戦タイム」と一時中断させた秋山選手。「なんで止まれないんだろう。どうしたら上手くかな」と子どもたちの意見を聞いて、「歩いてやろう」と作戦を立ててから再開。最後のだるまさんが転んだでも、アシスタントのフェイントに引っかかり、あえなく失敗。
授業の終わりに、秋山選手は、「今日はゴールできなかったけど、みんなで協力して達成することって、すごく大切なことです。できなかった時は、どうしたらやりやすくなるのか、できるようになるのかをみんなで考えてください。最終的にゴールはできなかったけど、みんなで考えて、楽しくできたので、それはそれで成功だと思います」と子どもたちの良かった点を話し、今後へつながる考え方を伝えた。
夢はプロ野球選手だった少年時代
引き続き6時間目は教室での授業に。夢先生の経験をもとに、夢を持つことやその実現に向かって努力する大切さや素晴らしさを伝えることが目的となる「トークの時間」。秋山選手はユニフォームからスーツに着替えて登場。まずは、秋山選手の活躍をビデオで確認。史上6人目となるシーズン200本安打、最多タイとなる猛打賞27回、そして日本プロ野球史上最高記録となったシーズン最多の216安打。記録ずくめのシーズンを攻守の好プレーで振り返った。
「野球の話ばっかりするつもりはないんですけど、自分だったらどうかなって考えながら聞いてください」と黒板に折れ線グラフを書きながら話し始めた秋山選手。野球を始めてからの気持ちの浮き沈みを夢曲線として書き、分かりやすく話した。「2才くらいからバットとボールがある生活で、小学1年生で野球を始めました。野球チームのコーチをしていた父親の影響だったんですが、野球の楽しさが少しずつ分かっていきました。でも、小学6年生の11月に父親がガンで亡くなったんです。その時、すごい気持ちが落ちました。野球をやりたいって思いがありながら、中学校でも続けるか悩みました。
それでも、中学で野球をやらせてもらえて。気持ちは緩やかに上がって行ったのですが、中学の野球部はとにかくきつい部活でした。朝は4時に起きて、夜の7時まで練習。『いつ辞めようかな』と思った時期もありましたが、父親がいなくなってからも野球をやらせてもらっていて。続けることが恩返しなんじゃないか、と野球を続けました。小学生の頃から目標はプロ野球選手だったんですが、中学2年生の時に、1つ上のチームが全国大会に出て。ここでレギュラーになれないと、プロにはなれないな、と思って頑張りました」
足りない中で、どうするかを考える大切さ
高校は神奈川県の横浜創学館高校に進学した秋山選手。「苦しかった中学時代を耐え抜いて、高校で野球をやらないかって話をもらったんです。高校野球の全国大会は、阪神タイガースの本拠地・甲子園球場で行われるんですが、その甲子園大会にも出たことのない学校でした。設備ももちろん限られているのですが、足りない中でどうするか、だと思うんです。自分で考えてやる。考える大事さを教わったのが高校時代でした。例えば、人が苦しいと思ってることも自分は楽しくできないか。どうせやるなら、楽しくならないかなって意識して。どうやって苦しいことを乗り越えようかな、と。プラス志向っていうんですが、考え方を前向きに、苦しいけど何か得られるんじゃという気持ちでやっていました。
高校卒業後、プロになる選手もいるんですが、僕はプロにはなれなくって、大学に進学しました。大学は青森の八戸というところにありました。冬は寒いし、ボールも触れない。トレーニングをするしかない。大学卒業の22歳でプロに入れないと、プロ野球選手になる可能性が少なくなる。大学では、勉強との両立っていう問題もあって。あまり好きじゃないな、という授業も、将来役に立つかも、と自分のためになると思って勉強しました。
大学4年生の時に、ドラフトで埼玉西武ライオンズに指名してもらうんですけど、プロになってからも苦しい時があって、ヒットが打てない、守備がうまくできないって時期が続きました。活躍する選手との差は何なんだろう。何をしないといけないんだろう、って考えさせられたんです。父親が残してくれたプロ野球選手という夢だったけど、そして、野球を続けさせてくれた母親のためにとやってきた野球だったけど、やっぱり野球が好きだという自分に気づきました」
継続と我慢、それに感謝
2014年シーズンは開幕から不振でファーム落ちを経験することもあり、131試合、打率.259、4本塁打、47打点、3盗塁と、不本意な成績に終わった。さらに、シーズンオフには右肘を手術し、秋季キャンプも参加できなかった。「試合にも出られなかったこともある4年目(2014年シーズン)があって、大きくバッティングを変えました。苦手なことを克服するよりも、得意なことを伸ばそうと考えたんです。それで昨年のヒット数がシーズン日本一になったんです。一つの考え方で人ってどういう風にも変われるんだな、とその時強く思いました。
そうなれたのも、とにかく我慢していたからなんですね。ずっと続けることの大事さを感じたというか。今年どうなるのかなって不安はあります。でも、苦しいことから逃げない、継続して自分の目標に向かってやる。だから、みんなも何をやったらいいか、考えながら勉強してもらえたらと思います。『自分のことを評価してくれる人が少ない』って思う時でも、どういう場所でも努力している人は誰かが見てくれているし、そういう人には幸運が巡ってくると思っています。僕が伝えたいのは、続けること、継続ですね。それに我慢。それから感謝する気持ち。この3つはすごく持って欲しいです。
父親がいなくなってから、いろんな人が助けてくれました。野球を教えてくれた人、生活のお世話をしてくれた人。僕もいろんな人に感謝をして、苦しい時も歯を食いしばって続けてきました。だから、嫌な時があっても投げ出すんじゃなくって、発想を変えられるように。続けていけるように。勉強も『これが何のためなんだろう』って気持ちがあっても、すぐに結果が出ることを求めないで。自分がやってきたことは、自分の人生につながっています。僕は特に両親や家族には感謝の気持ちを持ってやってきました。このことが少しでもみんなの考え方にプラスになったらいいな、と思います」
子どもたちから夢の発表
秋山選手の夢についての講義の後は、子どもたちが自分の夢を発表しました。バレーボール選手や生物学者など、思い思いの夢を語る子どもたちに、秋山選手は、「僕も幼稚園の時、昆虫博士になりたいっていうのがホントにあって、小学生の時もよく図鑑を見ていました」など、一つ一つ丁寧にコメントを返しました。
「今、書いた夢がこれから変わっていってもおかしくはありません。自分にあった違う道が見つかるかもしれないし、すごいライバルが現れるかもしれません。その時、新しい目標に向かっていけるかだと思います。そして、一番みんなを支えてくれているのはお父さんとお母さん。感謝の気持ちを持って、挑戦してがんばってください」と初めての授業をまとめた。
授業を終えた秋山選手は、「すごく緊張して入ったんですが、子どもたちが明るく迎えてくれて、自分自身いい勉強になりました。慣れない場所で、オロオロするところもありましたが、話もよく聞いてくれましたし、ホント助かりました。先生方とは違って、スポーツ選手として伝えられることがあるのかな、と思います。今日の授業で、毎日の生活がプラスになること。楽しいことばっかりじゃない、楽しいことに向かっていくには苦しいことがあるよ、ということ。それからこれから特に多感な時期になって、ぶつかることがあるだろうけど、最終的には両親に感謝することの大切さが少しでも伝わればと思います」と語った。
秋山翔吾(あきやま・しょうご)
1988年4月16日生まれ。神奈川県出身。身長183cm 、体重88kg。右投左打。外野手。2010年ドラフト3位指名で八戸大学から西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団。50メートル5秒9、一塁到達3.88秒の俊足と遠投110メートルの強肩を兼ね備え、特にバックホームなどの長距離では力強い送球で、ライオンズ外野陣で一番の強肩と評される。走攻守揃った若獅子の一人。今シーズン、オールスターにファン投票で選ばれ、初出場。31試合連続安打を記録するなど、埼玉西武の1番バッターとして活躍。プロ野球史上6人目となる200本安打を記録し、最終戦ではプロ野球のシーズン最多安打記録を更新、216安打を放った。