COMPANY
RECRUIT
創業当時の佐々木恭三
1955年頃の店舗
立体裁断ユニフォーム(平面図)
第6回あすなろ野球大会 阪神タイガース村山監督、田淵選手と子どもたち(甲子園球場)
創業当時の佐々木恭三
1955年頃の店舗
立体裁断ユニフォーム(平面図)
第6回あすなろ野球大会 阪神タイガース村山監督、田淵選手と子どもたち(甲子園球場)
今から70年前、京都市内の小さな雑貨屋で、青年がピンポン球を見つめて、独立の希望に燃えていた。1946年11月、株式会社エスエスケイの創業者佐々木恭三が、ピンポン球や襟カラーなどセルロイド小間物も扱う運動具店を、たったひとりでスタートさせた。
1950年には、ユニフォームで野球ブランド「SSK」が誕生。1956年には、立体裁断ユニフォームを開発し、その後のユニフォーム裁断の基礎を築いた。また、商品開発や拡販とともに、利益の一部を社会に還元するという創業以来の理念に基づき、1963年から「あすなろ野球大会」を開催。福祉施設の児童を招待し、甲子園球場で野球を楽しんでもらいました。
村山実室長を中心に商品開発会議
画期的な合成ゴム底スパイクシューズ『SBシューズ』
ディンプル加工の『G-one-D』グラブ
当時のSSKオリジナル商品群
村山実室長を中心に商品開発会議
画期的な合成ゴム底スパイクシューズ『SBシューズ』
ディンプル加工の『G-one-D』グラブ
当時のSSKオリジナル商品群
「SSK」ブランドの強化のため、業界で先駆けて、阪神タイガースの村山実選手や読売ジャイアンツ柴田勲選手など、プロ選手とアドバイザー契約を締結。また、1972年には、引退した村山実氏を取締役マーケティング室長として迎え、1983年には初のアドバイザリー会議を開催するなど、トップ選手との緊密な連携から、商品開発を進めた。
その成果として、合成ゴム底スパイク「SBシューズ」や「ディンプルグラブ」が登場。プレス加工によるディンプル(凹点)を捕球部分に施したグラブが、見た目のインパクトとボールの回転を止めるという機能性で、アメリカやカナダでも人気となるなど、世界的なヒット商品となった。
また、オリジナル製品として、野球用品の他、競技用からカジュアルまで対応するトレーニングウェアに加え、当時需要の拡大していたスキー用品やボウリング用品、またゴルフ用品の開発、販売を進め、総売上の3分の1を自社商品でしめることを目標としていた。
菊池淳二代目社長
BIBウインドブレーカー
ニュー『S』マーク
ニュー『S』マークのウイングフライト
菊池淳二代目社長
BIBウインドブレーカー
ニュー『S』マーク
ニュー『S』マークのウイングフライト
強いリーダーシップで会社の信用基盤を築き、事業を発展させた創業社長の佐々木恭三がその生涯を1983年に閉じると、菊池 淳が新社長に就任。小売店・メーカー・協力工場の連携を深める施策をとった。また、商物分離や受発注と物流コントロールを情報システムで処理する「SOLVES」の開発も進め、ソフトの充実を積極的に行った。
創業40周年を迎えた1987年には、社名を「株式会社エスエスケイ」に変更。第二の創業、再挑戦の年とし、スポーツクリエイターを目指し、新しいマーケット創造に取り組むことを宣言。トレーニングウェア「B1B」では、海外に生産を移したウインドブレーカーがヒット。オリジナルマーキングの「SOMPS」や20年ぶりのゴルフ参入となった「ジョン・レター」など、海外との提携などで、新しい展開を行った。
野球では、従来の「SSK」マークから、1986年には、ニュー「S」マークを全面的に打ち出した。その年に発売を開始した硬式野球バット「ウイングフライト」は、軽さと振り抜きやすさから高校生を中心に支持を得て、「バットのSSK」のイメージを定着させるきっかけとなった。
菊池淳会長(左)と佐々木恭一社長
ロイシュ・ヒュンメル商品アイテム
フェールラーベン銀座店(1996年8月)
アマチュアスポーツチームの支援サイト『ウェブリーグ』
菊池淳会長(左)と佐々木恭一社長
ロイシュ・ヒュンメル商品アイテム
フェールラーベン銀座店(1996年8月)
アマチュアスポーツチームの支援サイト『ウェブリーグ』
バブル崩壊後の市場の成熟化が進んだ経済環境の中、経営環境の激変やスポーツが求める若い感性に対応するために、当時33才の佐々木恭一が社長に就任。量的拡大から質的成長に向かって、組織の活性化、海外ブランドの展開による世界戦略、そして、ITを活用したトータルビジネスサポートをスタートさせた。
グローバルな視点と情報力によって、ネットワークを強化、展開し、1991年より、デンマークのサッカーブランド「hummel(ヒュンメル)」、1993年からはスウェーデンのアウトドアブランド「Fjallraven(フェールラーベン)」との代理店契約を締結し、日本での生産販売を開始。サッカー事業の強化とともに、消費者のニーズへのスピーディーな対応を目指し、直営店の出店も行った。
また、物流・情報システムの強化を狙い、「SOLVES3」の開発を行い、メーカーとのEDI、B2Bサイト「SSKネット」、コミュニティサイト「ウェブリーグ」をスタートさせるなど、21世紀の高度情報社会に向けて、ITを活用したビジネスを展開した。
ファッション領域に進出するヒュンメル
『OSAKA Happy Run Festa』ファッションショー
SSK物流本部 ISO9001 登録証(2015年版)
JANコード検品作業(2016年)
ファッション領域に進出するヒュンメル
『OSAKA Happy Run Festa』ファッションショー
SSK物流本部 ISO9001 登録証(2015年版)
JANコード検品作業(2016年)
従来からの競技者に向けたアスレティックスポーツに加え、新たなビジネスモデルの構築に挑戦するために、幅広くスポーツを楽しむライフスタイルスポーツを新たな軸として取り組む事業を開始。ヒュンメルファッションの取り扱いやフェールラーベンの全国展開で、ライフスタイルビジネスや直営ビジネスの礎を築いた。
2007年には、女性のスポーツに対する意識の高まりを受け、女性のバストと健康美をサポートする自社ブランド「Janestyle(ジェーンスタイル)」をスタート。ウィメンズチームが、売り場提案や商品企画、PRも担当。女性社員による新たな発想と行動の場が広がり、社内の活性化にも役立った。
また、これまで行ってきたSOLVESやSSKネットなどによる情報システムの構築に加え、さらに高度な物流システムの確立を目指し、業務効率の改善や顧客満足の向上を目指し、物流の高品質化を実現。経験を仕組みに置き換えることで、誤出荷を10万分の1レベルまで低減させ、エスエスケイの強みにまで高めることができた。
ヒュンメルの商標権を取得。(2013年)右はヒュンメル社CEO ソーレン・シュライバー氏
ショッフェル Press Previewにて。(2015年)左よりSSKエンタープライズ 菊池真次社長、ショッフェル社 ピーター・ショッフェル社長、佐々木恭一社長
S-Rush原宿店
野球ハイパフォーマンスライン『プロエッジ』
ヒュンメルの商標権を取得。(2013年)右はヒュンメル社CEO ソーレン・シュライバー氏
ショッフェル Press Previewにて。(2015年)左よりSSKエンタープライズ 菊池真次社長、ショッフェル社 ピーター・ショッフェル社長、佐々木恭一社長
S-Rush原宿店
野球ハイパフォーマンスライン『プロエッジ』
ITを使った情報システム構築のため、2009年に「SOLVES4」をリリース。さらに毎年改良を重ねてきたB2Bサイト「SSKネット」は、2015年にスマホ対応となり、「誰でも、どこでも、いつでも」使える情報提供サービスのプラットフォームとして4000店舗以上で使用されるスポーツビジネスの基盤となった。
自社ブランドの強化は、創業期以来の課題であり、2013年には日本におけるヒュンメルの商標権を取得。世界で唯一のグローバルパートナーとして提携を強化いていくことになった。また、2014年には、ドイツのアウトドアブランド「Schöffel(ショッフェル)」と契約を締結。2015年からは、SSK野球でハイパフォーマンスライン「PROEDGE(プロエッジ)」をスタートさせるなど、他社との差別化を目指したオンリーワン商品の開発に力を注いだ。
また、フットウェアビジネスの拡大を狙い、2015年に初めてとなるスニーカーセレクトショップ「S-Rush」を出店。ヒュンメルとフランスのフットウェアブランド「Palladium(パラディウム)」のオリジナルブランドを軸にしたショップで、現在では、原宿、大阪、横浜と3店舗展開となっている。
東大阪市と連携協定
WBSCの公式球・審判ウェア
世界に平和を発信するピースユニフォーム
海外でもキャッチボールの取り組みがスタート
東大阪市と連携協定
WBSCの公式球・審判ウェア
世界に平和を発信するピースユニフォーム
海外でもキャッチボールの取り組みがスタート
創業70周年を迎えた2016年に、「『フェア&ファン』の理念を基に、社内社外社会との共創を推進し、30年後の輝く未来へ向け挑戦・進化する」と100年企業宣言を行った。競技とともにライフスタイルを、国内だけでなくグローバルを視野に、用具(モノ)をはじめサービスやソフト(コト)を含めた『スポーツライフクリエイター』を目指すと、今後の方向性を示した。
そのひとつとして、自社ブランドの強化を実施するため、SSK野球では、2019年にWBSC(世界野球ソフトボール連盟)との契約を拡大。審判ウェアに続いて、ボールも公式球となり、世界大会において存在感を示した。2015年にスタートしたキャッチボールクラシック(CCB)のサポートは、コロナ禍での停滞もありながら、オンラインで世界大会を開くまでに。ジュニア世代の育成やキャッチボールの普及を目的にスタートした取り組みが、世界との対話や学びのきっかけにもなっている。
ヒュンメルの競技スポーツは、2017年にバスケットボール、2020年にバレーボールと取り扱いカテゴリーを増加。ハンドボールでは、2019年よりIHF(国際ハンドボール連盟)のオフィシャルテクニカルスポンサーを務めるなど、スポーツの強化を進めている。さらに、2015年から始めたピースユニフォームは、2021年に、国連ユニタールとも取り組み、広島と長崎を表現したピースユニフォームをデザインするなど、継続した活動に。“Change the World Through Sport.”(スポーツを通して世界を変える)というブランドビジョンを実現する試みになっている。
また、2018年には大阪府東大阪市とスポーツ連携協定を締結。初心者向けの体験型スポーツイベントを継続して行ったり、2020年に日本で初めて東大阪に完成したウィルチェアスポーツコートに協力するなど、スポーツを楽しめる日常や健康的な生活が、地域の活性化に繋がるような取り組みを推進していく。