多様性のスポーツ「アンプティサッカー」の可能性
病気や事故で手足を切断した選手が松葉杖をついてプレーする、第7回日本アンプティサッカー選手権大会が11月11-12日に神奈川県川崎市の富士通スタジアム川崎で行なわれた。ヒュンメルがサポートする関西セッチエストレーラスには、中学生男子と高校生女子の2名の新メンバーが加わり、小学生から大人まで、また女子選手もいるチームに。関西は、7チームでの変則的なトーナメント戦を戦い、3位入賞で大会を終えた。
多様性のスポーツ
アンプティサッカーは、日本では2010年に始まった障がい者スポーツで、全国に9チーム、100名ほどの選手がおり、今大会には88名がエントリーした。春のレオピン杯を含め、近年の大会では6チームでのトーナメント戦だったが、今回は、各チームに選手が増えたこともあり、単独チームが5チームと合同チームが2チームでの開催となり、初日の予選はAブロックとBブロックのチーム数が異なるという状況で行われた。
この大会がユニークなのは、大会参加者の多様性にある。一般的に、スポーツでは性別毎に大会が開かれ、障がい者スポーツでは、その障がいの種類や部位、程度によってクラスが分けられている。しかし、アンプティサッカーでは、性別や年齢、障がいの度合いに関わらず、皆がひとつのボールを追っている。
日本サッカーのご意見番として知られるセルジオ越後氏は、日本アンプティサッカー協会の最高顧問を務めている。「2020年に東京でパラリンピックがありますが、日本では障がい者のスポーツがそんなに盛んじゃない。文化的に低く位置づけられているんですね。だから、障がい者スポーツは勝ち負けだけでは成り立たないんです。彼らは、助け合って、支え合わないとスポーツができない。社会との繋がりが必要なんですね。今後世界に先駆けて超高齢化社会になる日本にとって、ここに学ぶことが、重要な意味を持つと思っています」と語る。
グラウンドでプレーする選手たちを見ながら、「彼らは障がい者じゃないんです。社会が彼らを障がい者にしているんです。日本では障がい者をかわいそうだと言う。でも、もっと対等に、目を見て付き合うことで、社会が変わっていくきっかけになる。この試合を見ても、大人も子どもも女性もいる。ただの試合じゃない。本来つくらないといけない社会のモデルがここにあると思っています」と付け加えた。
選手に夢と自信をもたらす競技
関西セッチエストレーラスの近藤碧選手は、中学2年生。12才の時に事故で左足を失った後も、義足でサッカーを続けた。コーチに勧められてアンプティサッカーを始めて2ヵ月。初めて参加した大会で4試合に出場し、4得点。新人特別賞を受賞した。「体格が違う大人とプレーすることの怖さはありますが、大人を抜き去る快感もある。自信になるし、将来は日本代表になりたい」と思いを語ってくれた。
AFCバンブルビー千葉の佐藤直美選手は、昨年の日本選手権に初出場、今回で3回目の大会になる。前回大会までは、前線でボールを待ち続ける感じだったが、今回はパスの受け手にも出し手にもなり、3位決定戦にはフル出場。「今までは、『私じゃなくって、他の選手が出るほうが』と思っていたのですが、チームの皆さんが褒めてくれるので、それが自信になりました」
「年齢的にも別の生き方があると思うので、もっと早くアンプティサッカーと出会いたかったな、と思います。でも、今はアンプティサッカーが楽しくって。だから、関西に高校生の女の子が入ったことはすごく嬉しいですね」と競技の広がりを喜んでいる。
その女子高生が、関西セッチエストレーラスの佐々野妃紗選手。生まれつき左足の膝下に障がいがある彼女は、車椅子バスケットの経験はあったが、足を使ったスポーツがしたかったという。クラッチをついて、片足でプレーするアンプティサッカーを、「自分の障がいが、自分の限界を決めないスポーツ」と話す。「初めての公式戦で、自分の思うようには動けませんでした。でも、ただ走って、スポーツをすることが楽しくって」と笑った。
アンプティサッカーの可能性
日本アンプティサッカー協会の副理事長で、日本代表監督も務める杉野正幸氏は、「日本では、たとえ10才以下でも、女性でも日本代表になれます。私たちは性別や障がいの重さ、年齢は気にせず、アンプティサッカーをやりたいという人たちに環境を整えることを優先しています」と語る。
決勝は、延長戦でも決着がつかず、PK戦の末、FC九州バイラオールが3度目の優勝を飾った。
陸上やチェアスキーなど複数のスポーツを楽しむAFCバンブルビー千葉の金井隆義選手は、アンプティサッカーの良さをこう語る。「サッカーに限らず、スポーツをやっていると、人として付き合える。年齢とか社会での立場が関係なくなる。ただ楽しいからやっている。一番でかいのは、アンプティサッカーって、障がい者スポーツなんですよ。なのに、この動きができるんです。手がない、足がないのを選手は気にしていない。スタンドのお客さんも気にしていないと思います。それはプレーを見ているから。障がいを見ているんじゃなくって、サッカーを見ているんです」
日本選手権では、協会関係者を含め、100名がボランティアスタッフとして大会を運営し、2日間で1500人もの観客が集まった。世界的には、「今後、パラリンピックの正式種目を目指しており、日本はアジア地域のリーダーとなるよう動いている」と杉野氏が言うように、日本での盛り上がりが、世界へと続いている。競技の広がりはもちろん、セルジオ越後氏が、「ボランティアに来てくれている学生が多くいるので、将来が楽しみ」と語ったように、社会的な価値や意味を持つアンプティサッカーが広がることで、気づくことが多くあると感じられた大会となった。