ラクロス山田幸代選手、「チャレンジこそ人生」
女性アスリートのサポートとしては、ヒュンメルでのラクロス山田幸代選手が代表格。エスエスケイでは、山田選手のチャレンジを続け、前例に縛られない姿勢を応援しています。プロ宣言、オーストラリアリーグでのプレー、オーストラリア代表へのチャレンジと、ラクロス界では誰もなしえたことのない道を切り拓いてきた山田選手に、オーストラリア代表でのメダル獲得や新しいチャレンジについて、話を聞きました。
オーストラリア代表選手に
山田選手は、女子ラクロスワールドカップ2005に日本代表として出場。世界との大きな差を痛感しながらも、ひるむことなく、その差を埋め、世界一になるための活動を開始した。2007年にプロ宣言すると、翌年より世界最高峰リーグのひとつオーストラリアリーグでプレー。その中で、「日本代表として世界を相手に善戦することよりも、日本人として、オーストラリア代表に選出され、世界一を目指す」ことを決断。オーストラリア代表の選考会にチャレンジした。2013年カナダワールドカップでは、最終選考で落選したものの、夢を追い続け、2017年、オーストラリア代表としてワールドカップの舞台に立った。
ただ、大会直前のケガの影響もあり、フル出場はできなかった。「ワールドカップ前にケガをして、走り出しができないくらいになっていました。ケガそのものよりも、それによりメンタルがやられましたね。休むということが怖かった。私は、センスがあったり、運動能力に優れたりしているわけではなかったので、練習を続け、努力することで自信を培ってきたタイプなんです。休んで戻ることをしたことがなかったんですよね」と振り返る。
代表には、リザーブで2人の帯同選手がおり、直前での代表交代の可能性もあったが、その心配はしていなかったという。「トレーナーに、『2-3週間で戻れる。出られるようになるまで治す』と言われたこともあり、代表から外れるということは気にしていませんでした。トレーナーの言葉は本当だと感じたし、スタメンからずっと出続けることはできなくても、私にできることをすれば問題はないと思っていました」
ワールドゲームズ2017で銅メダル
迎えた初戦。「一試合目、テイクオフもできなくて。スタメンからずっとプレーすることはできない状況でした。それに、一試合目で転倒し、また足を痛めたんです。でも、自分が試合でやることは明確だった。いい意味で割り切っていたんですよね。これが日本代表だったとしたら、このチームを背負わないと、とか、このチームをまとめないと、と考えたと思うのですが、オーストラリア代表では、このチームの武器になればいい、と思えたんです。その自分の武器を理解し、チームメートに理解してもらえればいい。言葉の壁はやっぱりありますし、フィールドで自分らしいプレーをすることに集中できました」
ラクロスは、バスケットボールやバレーボールのように、何度でも選手交代が可能なスポーツである。「交代しながら試合に出ていて、試合を追うごとに、走りながらも足の調子が良くなってきたんです」
オーストラリア代表は、3位決定戦で地元のイングランド代表と戦った。2度目のゴールデンゴール延長戦の末、9-10で敗れ、4位に。しかし、ワールドカップ終了の直後、ポーランドでワールドゲームズ2017が行われた。ワールドカップベスト4に加え、9位の日本と開催国のポーランド6ヶ国での国際大会に、山田選手もオーストラリア代表として参加した。
オーストラリア代表は、ワールドゲームズで3位となり、山田選手は代表選手として初めて銅メダルを手にすることになった。「リベンジできて良かったですね。優勝する、と思っていて、2大会で完全に負けたのはアメリカだけ。優勝するのは難しかったかもしれませんけど、カナダとイングランドには延長戦での負けでした。足の調子も良くなり、ワールドゲームズでは自分らしいプレーができました。ワールドカップでメダルを獲りたかったけど、まずは代表での銅メダル。世界一は、次の課題として残ったと思っています。代表の監督やコーチになれるかは、自分では決められませんが、次は、日本代表をサポートするメンバーとして、金メダルを獲りたいと思っています」
本場のラクロスを日本で体感
「『将来の夢はラクロス選手です』と子どもたちが言ってくれるようなスポーツにラクロスをしたい」という思いは、日本、オーストラリアでのプレーにとどまらない。2017年11月には、ラクロスの世界最高峰プロリーグであるアメリカのMLL選抜チームを招いたWorld Crosse 2017′の実行委員メンバーとして活躍。試合の翌日には、アメリカのプロ選手たちと地元の小中学校を訪問し、授業も行った。
「京都国際観光大使を務めさせてもらっていることもあり、海外の選手を日本に呼べたことも、小中学校の授業で地域貢献できたことも嬉しかったですね。90分ずつ授業を行ったのですが、ラクロスを知っているという子どもたちも、10年前から比べると増えていますし、すごく楽しんでくれて。今、自分にできることを考えながらやっています」と話す。
今年2月には、CROSS CROSSE 2018′で、アメリカよりコーチを招き、男女別にクリニックと大会を行った。来シーズンに向けては、大学でのコーチングをメインにしていきたいという。
日本代表を世界のトップへ
「2018年度から、関東の大学2チームでコーチをすることになりました。大学リーグの4部と1部のチームで、4部は試合数も少ないこともあり、掛け持ちが可能なんです。4部のチームが西武文理大学で、ここではコーチだけではなく、大学の講師としても招かれていて、例えば、イベント運営に学生が参加して、単位にしていくこともできるということで、色んな取り組みができると感じています。もうひとつが、早稲田大学。ここは1部でもトップ4に入るような強豪チーム。いい選手もいて、面白いチームだと思っています」
今までは、オーストラリアのU-23代表のコーチやチームでのジュニア向けクリニックなども行ってきたが、大学でシーズンを通してコーチを務めるのは初めてになる。「どうやって継続して伸ばしていくか。自分の経験を伝えて、勝つためのチームを作りたいですね。大学生との接点ができるというのは、やりたくてもできないこと。いいチャンスをもらったので、部活動にとどまらない広がりを持った活動にしていきたいです」
オーストラリアでは、選手として2年間プレーを継続することも決まったという山田選手。「今までと違って、3か月オーストラリアにいて選手としてプレーし、残りは日本で過ごすことになります。まずはコーチング。オーストラリアで10年プレーしてきましたが、それは将来的に、日本代表が世界一になるためであり、日本でラクロスがメジャースポーツになることを夢見てきた通過点だと思っています」
「たくさんの手ごたえも感じてきましたが、次の大きな目標は2028年。今は正式種目ではないのですが、ロサンゼルスオリンピックで日本代表がメダルを獲ることを目指しています。随分と先の目標になると思われるかもしれませんが、10年というのは、コーチングの経験を積むにはいい時間だと思っています」と常に先を見つめる山田選手。2028年を見据え、山田幸代選手はチャレンジを始め、新しい道を作り出そうとしている。
山田幸代選手について
1982年8月18日生まれ 滋賀県出身
日本初のプロラクロッサー。2007年9月にプロ宣言し、2008年から女子ラクロス界では世界トップクラスのオーストラリアリーグに加入。2016年12月、念願のオーストラリア代表に選出され、2017ワールドカップ、2017ワールドゲームズに出場。ワールドゲームズでは銅メダルを獲得。2013年4月から、母校・京都産業大学の広報大使、2014年12月から、京都国際観光大使も務めている。
【山田幸代公式インスタグラム】